コラム 〜 ふじみんと学ぶ! お水の基礎知識
時代を超えて人々を魅了する富士山は、絵に歌に、文学に舞にと、さまざまな芸術作品の題材になってきたんだよ。古くから日本人の心のよりどころだった富士山は、絵画にもたくさん登場するんだ。
今回は時代にそって古い作品から順に、名作に登場する富士山の姿をたどってみよう!
(注)タイトルの画像は富嶽三十六景(神奈川沖浪)元にしたイメージイラストです。また文中の画像もイメージイラストになります。
【平安時代】聖徳太子絵伝(秦到貞)
聖徳太子の生涯と事蹟を描いた「聖徳太子絵伝」は、全8幅からなる障子絵です。富士山が描かれた絵画としては、現存する中で最も古い作品とされています。
第7幅には甲斐の国の駿馬「黒駒」に乗って富士山を超える場面が描かれています。ただし、この作品の中で描かれている富士山の姿は実際の姿とは大きく異なることから、作者の秦到貞(はたのちてい)は実際には富士山を見たことはなく、想像で描いたのではないかといわれています。
平安時代の人々の尊敬の対象であった聖徳太子を描いた作品内に出てくることからも、富士山が古代より神の住まう山として崇められていたことが見て感じ取れるでしょう。
【室町時代】富士三保清見寺図
古くから景勝地として有名な三保の松原。その背後に悠々とした富士山が描かれているのが、重要文化財「富士三保清見寺図」です。
室町時代に全盛期を迎えた水墨画で描かれています。富士山の山頂を3つに割って描く「三峰型」の手法は、江戸時代の多くの画家が手本にしたようです。
なお、雪舟が描いた作品とされてはいるものの、厳密には雪舟が描いた原本ではなく誰かが写した模本であると考えられています。
【江戸時代】富士山図(酒井抱一)
尾形光琳に傾倒し「江戸琳派」を確立した、江戸時代後期の酒井抱一の「富士山図」は、紺青の背面に赤い日輪と白い富士にたなびく金の霞が、富士山を引き立たせています。構図の大胆さが魅力の作品です。
この頃から、定型とされていた「三峰型」と言われる富士山の描き方から脱した、新たな手法が多く用いられるようになりました。
【江戸時代】富嶽三十六景(葛飾北斎)
江戸時代になると街道の整備も進み、庶民にとっても旅や山登りが身近なものになりました。人気浮世絵師の葛飾北斎が描いた「富嶽三十六景」は、さまざまな構図を駆使して富士山を描き尽くしたとも言える作品です。まず三十六図が出版され、後に十図が追加で出版されるほどの人気作でした。
中でも、ダイナミックな大波の先に堂々とそびえる富士山が描かれた「神奈川沖浪裏」や、荘厳な赤富士が描かれた「凱風快晴」、稲妻と共に黒富士が描かれた「山下白雨」は特に人気が高く、富嶽三十六景の三役と呼ばれています。
【江戸時代】富士三十六景(歌川広重)
江戸時代後期には、東海道などを描いて風景画を確立した歌川広重の浮世絵が人気を博しました。「東海道五十三次之内」でも富士山を多く描いた広重ですが、最晩年に富士山を題材とした「富士三十六景」を描きました。亡くなる直前の絵とは思えないほどのエネルギッシュな作品です。
モチーフとして頻繁に登場するようになった富士山は、この頃から庶民にも親しまれる対象になり、登山者も大幅に増えたとされています。
【昭和】朝陽(梅原龍三郎)
昭和の作品「朝陽」は、燃えるような朝日を浴びる富士山の姿が描かれた作品です。
20歳の時に渡仏し、ルノワールの指導を受けた梅原龍三郎は帰国後、東西の画材を融合しながら新たな画風を築き上げました。「朝陽」は、そのことがうかがえる、鮮烈な印象の富士山が描かれた作品です。
おわりに
富士山は芸術の源とも言えるほど、たくさんの芸術家の制作意欲をかき立たせてきたんだよ。絵画についてだけでも、数えきれないほどの富士山の作品が生まれているし、古事記や日本書紀、万葉集などの文学作品の中にも富士山は登場するんだ。
昔から日本人に愛され続け、特別な存在感を放っていた富士山。これからも尽きることのないインスピレーションをたくさんの人に与え続けてくれるんだろうね。
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